ハチクロの“その後”
漫画『ハチミツとクローバー』は10巻で最終回を迎え、それぞれの人生を歩んでいきますが、実は、登場人物たちの“その後”が描かれたスピンオフがあります。
タイトルは、『やさしい風』と『君は僕のたからもの』で、電子書籍において配信中です(1作97円)。
このハチクロのスピンオフは、10年近く前に発表され、単行本未収録だったお話で、ハチクロの最終回のあと、山田さんと野宮さん二人の“その後”が物語の中心です。
なぜコミックス未収録かと言うと、ページ数が少ないため、発表するに当たって電子書籍という形しか取れなかったようです。
これまで電子書籍を購入したことがなかったので読み方を知らず、てっきり難しいと思っていたのですが、思っていたより簡単にiPhoneやパソコンのブラウザで読むことができました。
以下は、それぞれのお話のざっくりとしたあらすじ(ネタバレ含む)と感想です。
『やさしい風』のあらすじ
まずは、『やさしい風』のあらすじを簡単に紹介します。
話の舞台は、浜田山商店街です。
サマーセールの準備をしている商店街に、無料のカレーサービス券を持った野宮さんや真山さんら藤原デザイン事務所の面々が姿を見せます。その無料カレーは、山田さんのお手製。山田さんの料理と言えば、不味いことで知られています。
真山さんが、野宮さんに、「そろそろ真実を言ってあげてください、野宮さん“彼氏”でしょ」と言うと、野宮さんは、「俺”彼氏”なの? まだ何もさせてもらってないのに」とぶつくさ言いながら、勢いよくカレーを頬張ります(背後では、試食した山崎さんがぶっ倒れています)。
キラキラした眼差しで料理の感想を待っている山田さんに、野宮さんは、ごくりと飲み込んで一言。「……うまいです」
この強い信念、山田さん(あゆ)に憧れた商店街の男たちは、野宮さんの山田さんに対する想いの本気度に意気消沈します。
セール後、すっかり酒に溺れた商店街の男たちを、一人介抱する一平さん。
密かにずっと山田さんのことを想いながら支えてきた一平さんは、その気持ちをアキおばさんに見抜かれ、おばさんは、一平さんに、「ありがとね、アンタの〈でっかい心〉のおかげで、うちのバカ姪(あゆ)はこの商店街で呑気にやってこれたんだよ」と語りかけます。
そして、アキおばさんは、高円寺商店街の看板娘、ケーキ屋スワンのさくらさんとの縁談を一平さんに勧めます。
そのあと、一平さんとさくらさんの二人はお見合いをするのですが、お見合いの席で早々さくらさんは、高円寺商店街と父の店「スワン」が大切で離れられないから、と頭を下げて断ります。
しかし、一平さんは、自分も浜田山商店街が好きだから、その想いに賛同すると告げ、それぞれの店を存続したまま、お互いのお店にパンとケーキを半分ずつ並べるという形にし、無事二人は結婚することになります。
二人の結婚式を、商店街の男衆や山田さんが祝福し、物語は終わります。
『君は僕のたからもの』のあらすじ
一方の、『君は僕のたからもの』は、完全に山田さんと野宮さんの二人がメインのお話です。
読む順番としても、『やさしい風』のあとに、『君は僕のたからもの』というのがおすすめです。
この話の舞台は、藤原デザイン事務所です。
藤原デザイン事務所で、スペインに行っている真山さんとリカさんのこと(真山さんがリカさんに怖いくらい一途であること)について話していたら、いつの間にか山田さんが隣で聞き耳を立て、落ち込んだように項垂れます。
野宮さんは、まだ少し引きずっている山田さんを連れ、外で散歩をしながら、じゃれ合うように二人で会話をします。
野宮さんは、山田さんをからかったりしたときに、山田さんが「全部カオに出ちゃうトコ」が好きでした。そして、その山田さんが、野宮さんからすれば、これまで一生懸命脱ぎ捨ててきた青臭い「青春スーツ」を相変わらず着たままの真山のことを愛している、ということに気づいたとき、野宮さんは思います。
ああ、この娘だったら、あの頃のままのオレでも受け入れてくれたのかな、と。
その後、ある日曜日に、山田さんの連れ添いで学校に行った野宮さんと山田さんは、二人で花本先生とはぐちゃんの様子を語ります。
はぐちゃんはリハビリを頑張り、徐々に手も動くようになり、花本先生とはぐちゃんは、駅から少し遠めの古くて天井の高い一軒家に引っ越し、新しい場所で絵を描いています。
山田さんも、場所がないから講座のアシスタントとして学校の釜を使わせてもらっていて助かる、という話をすると、野宮さんが、「ウチの田舎来れば?」と言います。
実家は長野県で、中央自動車道で3時間。実家の裏がじーちゃんの山だから登り窯がつくれるし、いい土も採れるよ。週末だけ長野でもいいなあ、オレはパソコンさえあれば仕事はできるし、と野宮さんは言います。
そして、「どうせなら、建てちゃったほうがいいかな、家を」という野宮さんの言葉に、「家?」と山田さん。頭に「ハテナ」がたくさんついた山田さんの「家って?」の問いかけに、野宮さんが一言、「君と僕のですが」と告げます。
顔が真っ赤になってあたふたする山田さんに、野宮さんは優しい微笑みを浮かべながら、「ほんとにカオに出るな、君は」と言います。見ててほんとあきない。うん、多分一生あきないな、と野宮さんは思います。
感想
まず、『やさしい風』は、一平さんの密かに山田さんに抱いていた想いがなにより切ない物語でした。
山田さんが、もし頼りきっていた一平さんから求婚されていたら、山田さんにとっては逃げ場所がなかったかもしれません。
一平さんという存在があったから、山田さんが、安心して真山さんや野宮さんに恋をすることができたのだとすれば、一平さんは、山田さんに愛情を抱いていたからこそ「気持ちを告げない」という選択を取ったのであり、それが、アキおばさんの言葉にも繋がっているのでしょう。
その決断に、一平さんの山田さんに対する、恋以上の深い「愛」を感じます。
もう一つの番外編である、『君は僕のたからもの』では、野宮さんの山田さんへの想いが描かれています。
山田さんの「全部顔に出ちゃうトコ」が好きな野宮さん。野宮さんは、色々と思考をめぐらせ、顔に出さないタイプなので、むしろ山田さんとは真逆のタイプです。
また、自分のなかの「青春スーツ」を恥ずかしいからと脱ぎ捨ててきたのに、山田さんは、その青春スーツを着たままの真山さんを好きになる。
野宮さんにとって山田さんは自分と真逆で、野宮さんにとって真山さんは自分が乗り越えたと思っていた過去です。
その両者に影響を受け、惹かれ、徐々に変わっていく野宮さんの、なんとも言えない素直さが魅力的な作品です。
ハチクロの世界の、ささやかな“その後”です。
その後の“その後”
さて、この二つのハチクロの“その後”の、さらに“その後”が、『3月のライオン』の14巻に描かれています。
この『君は僕のたからもの』を読んでいなかったから、あの野宮さんや山田さん、真山さんやリカさん、花本先生やはぐちゃんの“その後”のシーンが唐突に感じたんだな、と納得。
羽海野チカさんが、『ハチミツとクローバー』の次の作品として連載している将棋漫画『3月のライオン』の単行本14巻では、将棋の対戦相手として、藤原事務所の面々が「特別出演」します。
そして、そこでは、真山さんとリカさんが付き合い、野宮さんと山田さんが結婚していることが語られ、野宮さんの故郷では、はぐちゃんや山田さんが一緒に制作に励んでいる様子も描写されています。
みんなが幸せで安心しますが、なぜか、どの“その後”の物語にも登場しないのが竹本くんと森田さんです。
竹本くんと森田さんは、あの後、どんな風に暮らしているのでしょうか。元気に、自分らしく暮らしているのでしょうか。
以上、羽海野チカさんの『ハチミツとクローバー』の“その後”でした。