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宮崎駿と「努力」

宮崎駿と「努力」

ジブリの宮崎駿監督が、クリエイターとしての「努力」について発言している映像がツイッター上で話題に。

宮崎駿監督は動画のなかで次のように語っています(以下動画の文字起こし)。

頑張るのは当たり前、頑張っても駄目な人間が累々といるとこが我々の仕事なんだから。頑張るなんてことを評価するなんてとんでもない間違いですよ。

演出ってのは加害者ですよ、自分のやりたいことを人にやらせてる。

頑張ってなんてそんなもん、頑張んないと話になんないじゃん。それで眠れぬ夜を送るのよ、それも当たり前だよ。

そのときに励ましとか慰めなんて何にも役に立たないことがわかるよ。

全部、自分ですよ。

自分が自分で許せるか。

その時に自分が簡単に許せる人と簡単に許せない人物がいて、それによって色々な運命が別れてくるんですよ。

自分ですぐ自分を許せる人間は、大した仕事をやらない。

発言の正確な時期はわかりませんが、どうやら息子の宮崎吾朗さんが『ゲド戦記』をつくった頃(2006年)のようです。

これは「頑張ればなんとかなる」という精神論とは真逆です。頑張るのは当たり前。努力して、才能もあって、それでも消えていった人たちも大勢見てきたのでしょう。

表現者の世界は、「頑張る」だけでどうにかなる世界でもないし、「頑張る」ことを評価に入れる世界でもない。

すでにじゅうぶん頑張っていて、なお届かず、眠れない夜を幾度も越えて作品を生み出そうと苦悶する。

そういうときに、「頑張って」なんて励ましは役に立たない、と宮崎駿監督は言います。

これは何も他人に「頑張れ」と強要しているわけではありません。

少なくともクリエイターの世界はそういうものだと宮崎監督が考えて、自分は仕事と向き合っている、ということでしょう。

途中、「演出家は加害者」という発言もあります。これは、偉そうな気分で取り組んでいない、という意味でしょう。むしろ罪の意識も抱えているかもしれません。

自分のやりたいことを人にやらせる。その加害者意識があるからこそ中途半端なことはできない、徹底してこだわる。

そして、最後の部分がいちばんの肝だと思います。

自分で許せるか。

誰かに許してもらうために強要されて取り組むのではなく、自分でその表現が許せるか、満足できるか。ここで簡単に自分を許せるような人間は、「大した仕事をやらない」。

注意したいのは、この映像で宮崎駿監督が語っているのは、自分との戦い、表現者としての持であり、頑張って心が壊れてそれでも頑張れ、という話ではないということです。

頑張る心身が整った上で、表現者として自らを置くなら、自分はこういう心構えでいる、ということを、自分自身を鼓舞するように語っているのでしょう。