十七条の憲法とは
十七条の憲法というのは、教科書で学び、なんとなく名前は覚えていますが、具体的にどういった内容のもので、どういった目的によって作られたのか、といったことについては、よくわからない、忘れてしまった、という人も多いのではないでしょうか。
この記事では、十七条の憲法とはどういったものか、ということをわかりやすく簡単に解説したいと思います。
十七条の憲法
まず、十七条の憲法は、飛鳥時代、「604年」に「聖徳太子(厩戸皇子)」が制定した、日本最初の成文法です。
ただ憲法といっても、これは現代の憲法とは違い、主に役人や豪族が守るべき心得や行動規範をまとめたものです。
十七条の憲法のうち、第一条では、「和を尊び、争いを避けること」、第二条では、「仏教(三宝:仏・経典・僧侶)を敬うこと」、第三条では、「天皇の命令に従うこと」が掲げられています。
また、第四条では、「礼儀作法を重んじること」、第五条では、「公正な裁判を行うこと」とあり、その他、役人の心構えや行動規範、国の統治に関する指針が書かれています。
最後の十七条目にも、「重要なことを決める際には、大勢の人と相談せよ」ということがあり、「和」の重要性が伝わってくる内容となっています。
十七条の憲法は、豪族たちの争いが絶えない時代背景のなかで、争いを抑え、役人たちが一つとなって国づくりに努めるように、という思いから、聖徳太子が定めたと考えられています。
聖徳太子は、593年に、女性天皇である推古天皇の摂政としてサポート役を司り、そのなかで、天皇中心の中央集権国家を目指して、改革を実行します。
その一つが、603年に設けられた、役人の位を個人の能力などで分ける「冠位十二階」であり、また、604年に定められる、和を重んじた「十七条の憲法」です。
飛鳥時代、推古天皇の摂政となった聖徳太子が、豪族同士の権力争いの絶えないなかで、役人を収めて、中央集権的な国づくりのために行ったことが、冠位十二階であり、十七条の憲法だった、というわけです。
ちなみに、「十七条の憲法」の読み方ですが、これは「じゅうしちじょうのけんぽう」と呼ばれています。