ジブリ『風立ちぬ』のタイトルの意味と由来とは
; font-size: 12px;”>宮崎駿『風立ちぬ』より
ジブリの宮崎駿監督の長編映画『風立ちぬ』。一体この『風立ちぬ』というタイトルにはどんな意味が込められているのでしょうか。
まず、『風立ちぬ』というタイトルの由来について紹介したいと思います。
もともとこの言葉は1938年に出版された堀辰雄の小説『風立ちぬ』が出自となっています。
この小説は堀辰雄本人の体験をもとに書かれた5章構成の中編小説です。「私」と、そして結核を患い死に向かう婚約者の節子。
美しい自然に囲まれた高原の風景の中で、重い病に冒されている婚約者に付き添う「私」が、やがてくる愛する者の死を覚悟し見つめながら、2人の限られた日々を「生」を強く意識して共に生きる物語。死者の目を通じて、より一層美しく映える景色を背景に、死と生の意味を問いながら、時間を超越した生と幸福感が確立してゆく過程を描いた作品である。
節子のモデルは、堀辰雄と1934年9月に婚約し、1935年12月に死去した矢野綾子です。映画版『風立ちぬ』の菜穂子のモデルとも言えるでしょう。
小説版『風立ちぬ』は、作中に登場するフランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節「風立ちぬ いざ生きめやも」という言葉に由来します。
これはヴァレリーの詩を堀辰雄自身が翻訳したもので、意味は、「風が吹いた、さあ、生きようじゃないか(正確には「めやも」は反語で、生きようか、いや生きられない」となるようで、誤訳ではないか、とも言われています)」。
堀辰雄は、関東大震災(1923年)で母を亡くし、師の芥川龍之介は自殺(1927年)、そして婚約者の綾子を病気で失っています(1935年)。
それでも、生きよう、と書く。
あるいは、いや、生きられない、という悲しみを伝えたかったのでしょうか。生と死の両義性を表現したかったのかもしれません。
いずれにせよ、宮崎駿監督は、この堀辰雄の『風立ちぬ』を下敷きにし、映画版『風立ちぬ』の原作漫画を描きます。
;”>宮崎駿『風立ちぬ』より
原作漫画は、2009年から2010年にかけて模型情報誌の『モデルグラフィックス』誌上で描かれた作品で、実在した航空技術者で零戦の設計士でもある堀越二郎を主人公にし、しかも豚にした作品です。
つまり、宮崎監督の『風立ちぬ』は、堀辰雄の実人生を色濃く反映した小説『風立ちぬ』に、堀越二郎の伝記的な要素も織り交ぜた大胆な作品なのです。
また、もともとこの漫画は宮崎さんが趣味で描いていたもので、映画化する予定はありませんでしたが、プロデューサーの鈴木敏夫さんの勧めで映画化が決まりました。