斬新な手法『風立ちぬ』でドイツ語が途中で日本語に
;”>宮崎駿『風立ちぬ』より
映画『風立ちぬ』では、言語の違いに関するある斬新な手法が取られています。
大胆な手法にも関わらず、あまりに自然なので、逆にほとんど気にならないかもしれません。
その手法は、主人公の堀越二郎と、親友の設計士である本庄季郎(ともに実在の人物)の二人が、ドイツへ軍用機製造を学ぶために見学に行き、ドイツ人の機関士らと会話するシーンで使用されます。
ここで彼らは、最初ドイツ語で話し、途中からドイツ人も含め全員が日本語で話し始めます。
通常、堀越二郎や本庄も、ドイツ人と一緒にドイツ語で話し、映像下に字幕が入るはず。
あるいは、ファンタジーの世界だと考えれば、ジブリ映画で動物たちも日本語を喋るように、外国人もみんな日本語で話すのが一般的です。
実際、カプローニやカストルプも違和感なく(カストルプは片言)日本語を話します。
こうした「途中で変える」方法は、他の映画では観たことがありません。
堀越二郎の声優を務めた庵野秀明さんは、ドイツ語で一通り全部喋ったそうで、その後半部分を切って、日本語に変わっていくようにしたと言います。
頭の数秒だけドイツ語で、あとはすぐにフェードアウトで日本語に変わっていきます。本当は最後まで頑張ってるんですけど(庵野秀明)。
出典 :『ジブリの教科書18 風立ちぬ』
これは宮崎監督の判断でした。それでは一体なぜ、こうした方法をとったのでしょうか。
宮崎駿監督は、会見の席で「どうしてもスーパー(字幕)を出したくなかった」と言います。
はっきりとした狙いや理由については語っていませんが、「どうしても」と言うほどこだわりの強い演出だったということは、そこに大きな意図があったということでしょう。
確かに、両者がドイツ語で話しながら字幕が入ったら、そのシーンだけがとても現実的になってしまって浮いてしまいます。カプローニやカストルプとは日本語で話しているぶん、余計に際立ってしまうでしょう。
しかし、カプローニやカストルプはトリックスター的な幻想に近い登場人物である一方、ドイツの機関士らは現実で、かつ「ドイツ」という外の世界なので、普通に日本語を話すと、それはそれで違和感があります。
こうした葛藤が、「どうしてもスーパーを出したくなかった」と語る宮崎監督の胸のうちにあったのではないかと推測します。
いずにれせよ、宮崎監督自身「こういう方法を使う映画は僕は初めて」と言うように、相当斬新な手法であることは間違いありません。
ドイツ語で話すときも日本語で話すときも(吹き替えではなく)同じ声でなければいけませんから、ドイツ人役の声優には、ドイツ語と日本語の両方を話せるドイツ人を二人探したそうで、ちゃんと日本にいたということで宮崎監督も驚いたそうです。