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好きな作品の話

高畑勲『平成狸合戦ぽんぽこ』は、狸が主人公の『平家物語』

高畑勲『平成狸合戦ぽんぽこ』は、狸が主人公の『平家物語』

ジブリ映画で、1994年に公開された高畑勲監督の『平成狸合戦ぽんぽこ』。

これは、多摩丘陵を再開発し、多摩ニュータウンを建設しようとする人間たちと、もともと多摩に住んでいた非力な狸たちが「化け学(ばけがく)」を駆使して戦う様を描いた物語です。

高畑勲監督は、平成狸合戦ぽんぽこの公開に当たり、これはタヌキたちを主人公にした『平家物語』であり、ドキュメンタリーだと語っています。

つまり、タヌキが大々的に活躍し、人間と対等に戦う(あるいは、こらしめる)のではなく、タヌキたちが住処を奪われていく悲劇を、そのまま描くことに主題を置いた、ということです。

狸たちが主人公の『平家物語』はどうでしょうか。

(中略)

『平家物語』の人々の激しく生き、壮烈な死にざまをさらす姿を狸に置き換え、集団劇として描くんです。そこに狸の化け話と時代を現代にもってきて、狸が開発によって住処を追われるさまを結びつけるという案です。

出典 : 『ジブリの教科書 平成狸合戦ぽんぽこ』

狸が置かれている現状を抜きにして勝手な夢やまやかしの希望を語る気にはなりません。タヌキは非力ですし、可哀相で、人間に一方的に追いつめられています。

出典 : 『ジブリの教科書 平成狸合戦ぽんぽこ』

この構図だけを見ると、「人間」と「自然」との争いで潰えていく自然、という話になりますが、ただ、この『平成狸合戦ぽんぽこ』のタヌキたちを見ていると、どこか自分たちにも似ているような気がしてきます。

宮崎駿監督は以前、この作品について、「我々は今やみんな狸だ」とコメントしています。

住みやすい場所は失われてしまった。でも、無理してでも生きていく以外にない。「化け学」を使って、栄養ドリンクを飲みながら、化け続けるしかない。

だから、皮肉のように見えて、実は今日の我々をよく表している、と宮崎駿監督は言います。

こうした点も、この『平成狸合戦ぽんぽこ』が単なる「環境保護」「自然保護」というメッセージに尽きない深みを表現しているゆえんでしょう。

それでは、一体なぜ主人公が他の動物ではなく、「タヌキ」になったのでしょうか。

その理由を、平成狸合戦ぽんぽこ制作への経緯を追いながら紹介したいと思います。

なぜ主人公がタヌキか

昔から日本では、動物を擬人化したり、妖怪が描かれることはありました。

しかし、タヌキが主人公のアニメーションというのは、『平成狸合戦ぽんぽこ』が唯一。

なぜ、「タヌキ」という動物が選ばれたのでしょうか。

①高畑監督と宮崎監督の発したアイデア

映画の公開は1994年ですが、制作の始まりは1992年、また企画の源流はさらにその前の1989年に遡ります。

当時、『魔女の宅急便』の追い込み時期だった頃に、高畑勲監督と宮崎駿監督が前後して、それぞれ雑談のなかで、タヌキを題材にした映画のアイデアについて語ります。

まず、高畑監督が語ったタヌキのアイデアは、四国が舞台の物語でした。

高畑監督は「日本独自の動物、狸の映画がないというのは、日本のアニメーション界がさぼってきた証拠だと思いませんか」と指摘し「もし作るとしたら四国が舞台の狸話『阿波の狸合戦』を取り上げたらいい」と、語ったという。

出典 : 『ジブリの教科書 平成狸合戦ぽんぽこ』

日本独自の動物であるタヌキの映画がないのはアニメーション界がさぼってきた証拠であり、作るなら『阿波の狸合戦』がいい、と高畑監督は言います。

この『阿波の狸合戦』というのは、江戸時代末期に阿波(今の徳島)で起きた狸たちの戦いに関する民話です。

1939年には新興キネマが『阿波狸合戦』というタイトルで映画化し、大ヒットしました。

1939年公開 『阿波狸合戦』

一方の宮崎駿監督も、「タヌキ」の映画を提案します。

宮崎監督が提案したタヌキの原案は、「八百八狸(はっぴゃくやたぬき)」でした。

これは、講談『松山騒動八百八狸物語』として知られ、日本三大狸噺の一つです。

八百八狸のイメージとして、宮崎駿監督とプロデューサーの鈴木敏夫さんが思い描いたのが、二人ともファンである漫画家の杉浦茂氏の『八百八だぬき』でした。

しかし、このときは、両者のタヌキのアイデアともに具体化することはありませんでした。

宮崎駿監督「豚の次はタヌキだ!」

雑談のなかでタヌキが現れてから3年後の1992年、再びタヌキが登場します。

それは宮崎駿監督の『紅の豚』制作の追い込み真っ只中の頃でした。宮崎監督は唐突に、「豚の次はタヌキだ」と言います。

その提案に、鈴木敏夫さんは、「高畑監督でいいですか。その場合は、『八百八狸』ではなく、『阿波の狸合戦』になるけどいいですか」と宮崎監督に尋ねます。

宮崎監督は、一瞬ためらったのち、渋々了承。その代わり、二つの条件を提示します。

①タヌキに敬意を持って描くこと。

笑(こうしょう)がほしい。

こうして鈴木敏夫さんは、さっそく高畑監督のもとにタヌキの作品を依頼しに向かいます。

ところが、一筋縄では行かない高畑勲監督は、この依頼を当初渋ります。

確かに、誰かがアニメーションとして『阿波の狸合戦』を行う責任があると、大きく主張はしたが、自分(ジブリ)がやるとは言っていない、と。

鈴木さんは、困り果てます。

井上ひさしさんと会う

そこで鈴木さんは、高畑監督を連れて、作家の井上ひさしさんと会います。

井上さんは、『阿波の狸合戦』を下敷きにした『腹鼓記』を書いています。そして、井上さんは、タヌキのことならぜひ協力したいと、様々な資料が揃った山形県の「遅筆堂文庫」を紹介してくれます。

高畑監督と鈴木さんは山形へ行き、多くのタヌキの資料に目を通すのですが、映画の足掛かりは見つかりません。

二人は、タヌキ映画に挫折しそうになり、代わりに『平家物語』をつくろうか、という話になります。

結局、この『平家物語』の企画はそのまま立ち消えになるのですが、これが一つのアイデアのきっかけになりました。

その二ヶ月後、高畑勲監督が、鈴木さんに提案します。これが冒頭でも紹介した言葉です。

もう一度、引用したいと思います。

狸たちが主人公の『平家物語』はどうでしょうか。(中略)『平家物語』の人々の激しく生き、壮烈な死にざまをさらす姿を狸に置き換え、集団劇として描くんです。そこに狸の化け話と時代を現代にもってきて、狸が開発によって住処を追われるさまを結びつけるという案です。

出典 : 『ジブリの教科書 平成狸合戦ぽんぽこ』

こうして無事、タヌキが主人公で彼らの悲哀を描いた『平成狸合戦ぽんぽこ』の企画が固まるのでした。