手話の起源
手話とは、手や指、腕などを身振りや、口や舌、首の傾きや眉、視線といった顔の部位を使ったコミュニケーション話法で、主に聴覚に障害を持ったひと同士や、耳の聴こえるひとと聴こえないひとのあいだで会話を行う際に使用されます。
手話は世界共通のように思えるかもしれませんが、実際は世界共通ではなく、国や地域でも違います。同じ英語圏でも、アメリカとイギリスの手話は違いますし、日本と世界の手話の意味することも違います。
たとえば、日本語の手話で「男」を意味する場合は親指を立て、「女」を意味する場合は小指を立てますが、これは元来日本人のジェスチャーのなかで同じような使われ方をしてきた文化的な背景があり、この手話は世界では通じません。
アメリカの手話では、ハットのつばが「男」、帽子のあご紐で「女」を意味します。パキスタンでは鼻の下のひげで「男」を意味し、台湾の手話ではイヤリングが「女」を意味するなど、その地域の文化が手話にも深く影響を与えています。
一方で、同じジェスチャーをもとにした言語ということから、統一性の持ちやすいコミュニケーション話法でもあり、補助的な役割として「国際手話」という方法もあります。
それでは、そもそも「手話」の起源とは一体いつ頃に遡るのでしょうか。
手話が誕生したのは、ルネサンス期の16世紀のことでした。
古くから聴覚に障害を持っている人たちは社会から排除され、古代ギリシャの哲学者アリストテレスも「耳の聴けない者は決まって知能が低い」と考えたり、古代ローマ法でも、生まれつき耳の聴こえない者も、「読み書きを学ぶことができないため物事を理解する能力がない」として遺言状に署名する権利を与えられませんでした。
この長年の偏見に対する動きとして、スペイン人ベネディクト会の修道士ペドロ・ポンセ・デ・レオンが、アメリカの先住民のジェスチャーによる交流や修道院での沈黙の時間の手振りや指文字で行う会話をヒントに、手話を発案。
これが手話の起源だと言われています。
このレオンの手話のアイディアを、スペインの聖職者で言語学者でもあったフアン・パブロ・ボネットが引き継ぎ、現存する最古の手話の教科書を完成させます。
;”>手話の指南書 1620年
まだ未完成な部分も多かったボネットの手話の手法。
1755年には、フランス人の神父ミシェル・ド・レペが聴覚障害を持った人々への包括的な教育法を確立し、教育機関としてパリに公立の学校も設立。
各家庭で使われていた独自の手話も取り入れながら、より総合的な手話の辞典を作成。「聴覚障害の父」と呼ばれるほどの業績を残し、その後、彼の作成した「手話」の体系は、ヨーロッパ全土、またアメリカなど世界中に広がっていきました(参照 :手話はこうして誕生した その歴史)。
日本では、1862年に江戸幕府によって派遣された視察団がヨーロッパの聾学校やもう学校を視察。
日本で最初の聾学校が、1878年、古河太四郎によって設立(京都盲唖院)。日本の手話の起源は、この場所で始まりました。